パチンコルネッサンスの幕開け
自由への憧憬
皆様は「スーパーサラリーマン」という言葉を聞いて何を連想するでしょうか。藤子・F・不二雄さんの漫画から生まれたテレビドラマを思い浮かべた方はきっとお若い方です。
実は、昭和の終わりから平成のはじめにかけて、スーパーサラリーマンという一つの生き方が若者たちの間で人気を呼んだ時代がありました。スーパーサラリーマンとは、会社員でありながら会社に縛られることなく自分の世界を持ち、残業、休日出勤等はほとんどせず、アフターファイブや週末は自分の趣味やライフワークに没頭する「新人類」(もはや死語)の一種を意味する造語でした。単なる遊び人との違いは、「自由奔放に生きながら会社でも優秀な業績を残す」ということでした。この頃の若者が最も望んだものは「自由」でした。彼らは自由を追い求め、自由を愛したのです。
当時の我が国は未曽有の好景気を享受していました。売り手市場と言われ、企業は一定数の新卒社員を確保するのに必死でした。青田買いした内定者がよその会社に流れないように、どの企業も懸命な努力をしていました。
企業呪縛からの脱却
時を同じくして、日本社会は長年続いた終身雇用制度に終止符を打とうとしていました。自らの人生を会社に託し、生涯を通して会社に面倒を見てもらう代わりに滅私奉公するという日本人特有のメンタリティーも崩れかけていました。
会社に尽くすのではなく、会社を利用して輝かしい職歴を作り、それを武器に次から次へと華麗な転職を繰り返すスーパーサラリーマンも登場し始めました。当時はヘッドハンティングの会社も乱立し、若くして出世した若者たちの転職を支援していました。
このようにして、モノ、カネ、人の流れが激流をなす時代がついに始まりました。中世ヨーロッパのルネッサンスが宗教的呪縛(厳密には不適切な表現なのですが…)からの人間解放を目指して芸術の分野で大きく羽ばたいたように、企業呪縛から解き放たれた新進気鋭の若者たちは新たな文化を生み出しました。
従来は暗黙の了解のうちにタブーとされた有給休暇の長期取得も権利意識の強い欧米人のように平然と取得し、ハワイやグアムのリゾートで波乗りやマリンスポーツに興じたり、苗場のようなお洒落なスキー場でアヴァンチュール(恋愛冒険)を楽しむ若者たちもこの頃から台頭するようになります。それより十数年前にスーパーサラリーマンの先駆けとなっていた小椋 佳さん(当時、第一勧業銀行勤務のシンガーソングライター)のように、会社員兼ミュージシャンとか会社員兼小説家といった二足の草鞋を履く人種も登場し、多彩なスーパーサラリーマン像が世の若者たちを魅了したものでした。
副業と副収入
会社を辞めて好きな道に転じ、それだけで生計を立てるのは危険な賭けです。とりあえず名を成すまでは企業に属し、社内でもそれなりに活躍し、アフターファイブや週末には自分の趣味を生かした副業で稼ぐというライフスタイルが一部の才気煥発な若者の間で確立されました。これは昨今のネットビジネス、アフィリエイトなどの起源となりました。それ以前の世代の日本人は会社の仕事をこなすだけでヘトヘトでした。とても副業どころではなかったのです。スーパーサラリーマンとは対照的に、昔は巧みに残業をして、残業手当を稼ぐという発想がむしろ一般的であり、副業で稼ぐという発想自体がなかったのです。
バブル崩壊後
しかし、一部の若者たちが作り上げたこの華やかな時代もそう長くは続きませんでした。バブルの崩壊以降、日本経済は長期間にわたって喘ぎ苦しむことになります。銀行の破綻や貸し渋り、その犠牲となって相次いだ企業の倒産、円高不況、生産拠点の海外移転とそれに伴う雇用の減少、吹き荒れるリストラの嵐などが悪循環となって、働き盛りの社会人を窮地に追い込みました。それに追い打ちをかけるように、阪神大震災をはじめとする大小様々な自然災害が日本列島を次々と襲ったのが90年代という異様な時代でした。いつのまにか世間はスーパーサラリーマンどころではなくなっていたのです。優雅な世の中は一転してサバイバルの世の中に変貌しました。
人生の羅針盤の喪失
一部の新人類たちが成し遂げた企業呪縛からの脱却、新たな文化の創生、その後の長期低落経済、災害の異常発生・・・過去一世紀分の変遷が20世紀最後の10年間に圧縮されて現出しました。あまりにも多くの変化が一気に押し寄せたため、多くの人々が人生の羅針盤を見失ってしまいました。
ありとあらゆるレジャーが栄え、お金さえあればいくらでも遊べる世の中にはなりました。経済絶頂期を過ぎてからも、ますます豊かになったかのように見えた我が国でしたが、水面下では貧富の差が徐々に広がりつつありました。
災害で家を失った人たちは絶望の淵に沈みました。家は倒壊を免れても、高価な骨董品のコレクションなどを楽しんでいた人たちは大地震で貴重な宝物が木っ端微塵にされ、こんなものを熱心に収集していた今までの人生はなんだったのかという空虚な気持ちが全身を領し、ふと気づけば生きる目標まで失っている自分の姿に気づきました。順風満帆の人生を歩んでいながら、ある日突然、リストラによる解雇を言い渡され失業の憂き目を見た人たちは再就職のために筆舌に尽くし難い苦労を経験しました。
「日本経済の失われた10年間」と形容される90年代は単に経済的なダメージだけにとどまらず、人々の心の中にも大きな爪痕を残してしまったのです。
パチンコブームが残したもの
ちょうどこの頃に、パチンコの一大ブームが起こりました。かつてのチューリップ台はとうの昔に姿を消し、人気機種の主流がハネモノからデジパチへと移り変わろうとしていた頃のことです。庶民の娯楽と言われたパチンコまでが激動の歴史の舞台の上に立たされていました。先行きの不透明な世の中に不安を覚えた人々は鬱憤晴らしをするためにパチンコに夢中になりました。時には爆発するものですから「ひょっとして、パチンコだけで食っていけるのではないか?」、「パチンコに勝ち続ければ、少しは生活の足しになるのではないか?」と考え始めた人も少なくはなかったようです。
しかし、悲しいかな、パチンコというものはカラクリを知らずに、山勘を頼りにデタラメな打ち方をしている以上、必ず負けてしまいます。たとえ三日連続で爆発したとしても、トータルでは必ず負かされます。いつの頃からか「パチンコ依存症」という言葉が生まれ、パチンコで大金を失いながらもパチンコがやめられない中毒者の存在が大きな社会問題に発展してゆきました。
その後、パチンコで失ったお金をパチンコで取り戻したいと考えるパチンコ依存症患者の心をくすぐる悪徳会社がインターネット上に溢れ返り、依存症患者をカモにして偽攻略法を販売するようになりました。これがパチンコ攻略法のイメージを著しく害する結果を生み、「パチンコ攻略法販売=詐欺」という歪んだイメージを世間に定着させてしまいました。A級戦犯(悪徳会社)のしでかした悪行は許し難いものでした。それ以降、まともなパチンコ攻略法は全く名誉が回復されぬまま今日に至っています。
逆風の中で
我々はこの最悪の時期にこの業界(パチンコ攻略法ビジネス)に参入しました。逆風の中を突き進み、すでに10年の月日が流れました。「雨にも負けず、風にも負けず」の精神で一歩一歩、前進を続けました。同業者による心ない中傷にもめげず、ひたすら歩み続けました。正義の仮面を被った悪党ども(詐欺被害者を救済するふりをしてお金を巻き上げる相談センター等)による捏造報道にも屈することなく、とにかく前へ前へと進み続けました。如何なる状況においても、決して歩みを止めることはありませんでした。
日増しに強まる願い
そして、ふと後ろを振り向くと、数多くの門下生(最強攻略法・海殺しXの購入者)が我々の後を追いかけていました。彼らは我々に運命を託し、我々に追随したのです。知らぬまに巨大な運命共同体が誕生していました。当倶楽部と門下生の一人ひとりはいわば一連托生です。ここまで来た以上、もう後戻りはできません。これからも門下生の皆様との絆を深め、皆様のお役に立ちたいという願いが日増しに強まっています。
パチンコルネッサンス宣言
中世ヨーロッパのルネッサンスは人間解放のための運動でした。我が国において、かつての先鋭的な若者が世に残したものは企業呪縛からの解放でした。我々、リヴィエラ倶楽部は「パチンコ呪縛」からの解放を「パチンコルネッサンス」と称して、その真価を世に問います。現代のパチンコが残したものがパチンコ依存症だけとすれば、これほど空しいものはないではありませんか。パチンコ台という無味乾燥の機械を「貧困製造機」から「幸福製造機」に変えること、これこそが我々の使命であると考えます。
戸惑いの正体
今、日本人の大半は大きな「戸惑い」の中で暮らしています。21世紀の扉が開き、社会は更なる進化を遂げました。社会の基盤が根底から覆された「失われた10年」の後も歴史の激動はとどまることがありません。デジカメの出現は従来のカメラを化石同然にしてしまいました。スマートフォン(スマホ)の出現はデジカメの息の根を止めました。そのスマホを今、高校生が当たり前のように持ち歩く世の中を平成の初期に一体誰が予想し得たでしょうか。
一見すれば、我が国はますます富める国になっているように見えます。しかし、今の時代、スマホを持ち歩いている高校生が大学に進学すると、二人に一人は奨学金のお世話になるのです。奨学金というのは成績優秀者に無償で与えられる本来の意味での奨学金ではありません。金融機関がビジネスとして取り組む「奨学金という名のローン」の美名にすぎません。これは今の大学生の親たちが非常に貧しく、子供の学費を捻出する経済力がないことを意味します。彼らが社会に出た頃が就職難の時代であったという事情もあるでしょう。大卒者であっても定職に就けず、フリーターなどをやっているうちに、能力がありながらキャリアを作り損ねてしまった人たちが無数にいるということです。食いつなぐためには、比較的単純な労働に従事する非正規雇用のような不安定なステータスに甘んじるしかないのかもしれません。しかし、契約満了のたびに別の会社に入っても、収入のアップは期待薄です。
一つの会社で継続して働いていれば、年齢が上がるにつれて昇給するのが通例です。個人差はあっても真面目に働いてさえいれば大抵は昇進して、いずれは役職手当もつきます。かつての新人類が馬鹿にした終身雇用制度の中に実はささやかな憩いがあったことに日本人は今頃になって気づきました。しかし、時計の針を逆戻しすることはできません。変わり果ててしまった社会の中で生きてゆくしかないのです。
大人も子供もスマホを持ち、ライン、ツイッター、フェイスブックなどを駆使する便利な世の中になっても、一般庶民の暮らしは少しも向上していません。豊かになったような気がして、実は少しも豊かになっていない。この不思議な事実が「戸惑い」の正体なのです。
野心家であれ
人は金の亡者に成り下がった時に魂が滅びます。しかし、「貧すれば鈍する」の諺が示すように、貧困が生み出す悲劇は枚挙に暇がありません。日本固有の伝統が破壊され、新たな文化が創生され、文明が進歩し、生活水準が低下したこの混迷の世を生き抜くためには、なんらかの知恵が必要です。老いも若きも男も女もこの時代の犠牲者にならぬために、今こそ自衛体制を整える必要があります。この世知辛い世の中で逞しく生きるために、日々の生活に潤いを与える手段を真剣に探し求めなければなりません。そのためには多少の野心が必要です。
年配者であれば、いつ制度が変わり減額されるかわからない年金にしがみつかなくてもよい人生を模索すべきです。若い男性であれば、生涯の伴侶と結ばれて幸せな家庭を築くために、月収が少なくとも5割増しになる手段を見出すべきです。未婚の中年女性は同世代の男性に負けないくらいの財力を持つべきです。
もっと楽しく もっと夢を
人間が人間らしく生きるためには、大きな夢が必要です。人は大人になってからも夢と共に成長を続けるからです。夢をはぐくむ栄養はダイナミックな遊びです。大人になると、大半の人々は生活に追われて全く遊ばなくなってしまいます。これはよくないことです。遊びを通じて人は精神の健康を維持し、肉体的な病の原因となるストレスを撃退します。このようにして心身ともに健康な状態となった時、人はあれもやりたい、これもやりたい、とますます夢を膨らませてゆきます。この「夢の風船」の膨張を我々は「生き甲斐」と呼びます。生き甲斐を欠いた人生はクリープを入れない珈琲のようなものです。(若い人には通じないギャグでしょうが・・・)
我々は「遊びの天才」を自負します。当倶楽部が皆様の夢を楽しく膨ませるお手伝いができれば、我々の存在意義も高まることになるでしょう。リヴィエラ流人生哲学(←Click!)に共鳴される人は是非とも名乗りを上げていただきたいと願っております。どうも有難うございました。
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パチンコルネッサンスの仕掛人