大海物語スペシャル 攻略2

意表を突かれた大海物語スペシャル

ハイパー海物語INカリブの次はスーパー海物語INエーゲ、スーパー海物語IN地中海というような名称の機種が続くと誰もが予想していました。さすがにハイパー海物語IN○○ではまずいというのが大方の見方でした。ハイパー海物語INカリブで予想外の苦杯をなめさせられたSANYOとしては、前作のイメージを残した機種名では勝負になりません。スーパー海物語IN沖縄、ハイパー海物語INカリブと続いたからには、当然、○○海物語IN○○と来るに違いないと思いきや、大海物語スペシャルという4つも前の機種名(大海物語)にちなんだ名称を使うところに、SANYOの勝負強さを感じます。

海物語シリーズの急展開

元々、大海物語は大人気機種でした。ただでさえ爆発とハマリの波が荒い海物語シリーズなのに、確変割合が60パーセントになり、爆発したら止まらない魅力が大海物語にはありました。しかし、大海物語以降、SANYOは新機種発表の間隔を狭めていくことになります。海物語、新海物語はかなりの長期間にわたり現役を続けましたが、大海物語が出てから約1年後にスーパー海物語が出て、その約1年後にスーパー海物語IN沖縄、その約半年後にハイパー海物語INカリブとピッチを上げてきました。何故、そんなに焦るのかと疑問に思われた方も多いでしょう。

流れを変えた大海物語

これは憶測にすぎませんが、海物語、新海物語ではシンプル性が受けたとはいえ、他機種と比べれば、あまりにも単純なゲーム性にSANYOは不安をもったのではないかと思います。どんな人気も永続することはありません。「そろそろ飽きられる頃なので、少しヒネリを加えよう」と新たな攻略にSANYOが動き出したと当倶楽部は解釈しました。3つのステージという絶妙なアイデアは、シンプル性に何かを加味しなければやがては飽きられてしまうというSANYOの苦心が伝わってきます。一種の延命策であったのでしょうが、これがまた大いに受けて、大海物語は大ヒットしました。大海物語でもってSANYOは第二の黄金期に突入したのでした。

他機種と競い始めた大海物語以降

確変割合の変更による爆発力のアップと3つのステージの楽しさは新たなファンの獲得にも貢献しました。しかし、新たなファンというのは従来のファン(シンプル性、意外性重視)と客層が違っていました。従来の海物語ファンは、海物語、新海物語しか打たないという人が多かったといえますが、新しい海物語ファンは時に他機種にも浮気をする厄介な人たちでもあります。当然ながら他機種のもつ派手な演出(一種の麻薬)の虜となり、その刺激に酔いしれ、下手すればもう海物語に戻ってこなくなるかもしれないという一抹の不安がSANYOになかったとはいえないでしょう。この焦燥感にハイパー海物語INカリブが失敗に終わった遠因を見ます。

「刺激性」との戦いに入ったスーパー海物語以降

従来のシンプル性をある程度継承した大海物語でしたが、3つのステージ、プレミア当たりの大量追加などは、ファンの刺激を求める欲求に迎合したものでした。しかし、他機種と比べれば、依然としてシンプル性と意外性を重視した機種でした。とはいえ、刺激的な要素も含まれていましたので、海物語や新海物語のようには長持ちしないだろうという弱気を起こしたのではないかと思います。(刺激の強い機種の寿命は総じて短いのです)そこで「人気が廃れる前に新作を」と考え、スーパー海物語を発表したのでしょうが、この頃からSANYOは常に走り続けていなければならないトップランナーになってしまいました。

絶頂に達したスーパー海物語IN沖縄

「二兎追う者、一兎も得ず」という諺が警告するように、従来のファン(シンプル性、意外性重視)と新しいファン(刺激性重視)の両方を獲得するためには、あの手、この手を尽くさなければなりません。スーパー海物語では、確変昇格演出に工夫を凝らし(宝箱)、急場を凌ぎました。続くスーパー海物語IN沖縄では突確の導入をはじめ、確変昇格演出に新たなパターン(「カクヘーン」と叫ぶ女の子)を追加し、刺激を求めるファンの機嫌をとりました。さらに、ハイビスカスフラッシュという最も刺激的な演出をも採り入れ、全力を尽くして、チャンピオンベルトを死守したのです。恐らくハイパー海物語INカリブまでの歴史の中では、スーパー海物語IN沖縄がSANYOの絶頂であったと思います。つまり、SANYOは二兎追って二兎とも得たのです。

チャンピオンたるもの

しかし、何事でもそうですが、ピークを迎えた後は下り坂となるのが人の世の宿命です。真の強者というものは、ここからが勝負なのです。プロレスのアントニオ猪木が50代に入ってからも超一流レスラーであり続けたのも、将棋の大山康晴15世名人が死ぬまでA級の地位を守り通したのも、いずれも衰えた力を何か別の要素でカバーしたことにその秘訣があります。それができないチャンピオンは例外なく短命天下に終わるのです。晩年の猪木氏はチョークスリーパーという反則スレスレの一撃必殺の技で劣勢の試合をほとんどひっくり返しました。晩年の大山氏は若手俊英たちと決して「読み」で勝負せず、長年のキャリアが培った閃きを武器に、長手数を読まずに相手を自分のペースにひきずりこむ戦術を用いて、羽生善治氏や谷川浩司氏といった若き天才たちとの死闘を何度も制しました。

己に勝つ

これはパチプロにも言えることです。絶頂を迎えた後の対処がその後の人生を左右します。最強攻略法・海殺しXを駆使すれば、パチプロ、セミプロ、アマ強豪のいずれかにはなれるはずです。しかし、プロと同等の実力を身に付けたとしても、その後が問われるのは言うまでもありません。猪木氏は引退セレモニーにおいて、「闘魂とは己に打ち勝つことだと思います」と述べました。奇しくも、生前の大山氏は座右の銘として「克己(こっき)」と色紙に揮毫していました。超人的な肉体を必要とするプロレス、人知の限界に挑む将棋と比べれば、パチンコは実に簡単な競技です。自己流で打たずに正しい攻略ノウハウさえ身に付ければ、誰もがプロになれる可能性があります。しかしながら、トッププロになるためには、冷静沈着な分析力、観察力に加え、己に勝つ精神力といつまでもピークを維持する自己管理力が問われるのです。

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